プログラミング自由連盟の関連論文と記事 - 4

□プログラム作成のために自分自身の自由を保護せよ□

---Protect Your Freedom to Write Programs---
Richard Stallman

「GNU ダイジェスト」#10/ '91 年 1 月号

 10 年前は、プログラマは自分の得た技術全てを使ってコーディングすることが許されており、良いと思った機能は何でも提供していたので有用だった。新種の独占ソフトウェアの特許権やインタフェース著作権によって、我々の自由は今や奪われているのだ。

 「Look and Feel」(見ばえとその感触) 訴訟では、我々がよく知っているコマンド言語を独占しようとしている。部分的には勝ち進んでいる。このようにコマンド言語に関する著作権に無償で互換性のないインタフェースを強いることによって、競合を鈍化させ、技術革新を抑制し続けている。

 ソフトウェア特許権の方が (Look-and-Feel 著作権よりも) さらに危険である。プログラム開発における設計の決定方法を訴訟の種とする恐れがある。ユーザの技術が特許になっているかどうかを調べるのは困難であり、多額の費用がかかる。また、将来特許として認められるものかどうかを探るのは不可能である。

 League for Programming Freedom(LPF、プログラミング自由連盟) は、プログラム作成の自由を戻そうと頑張っている教授や学生、ビジネスマン、プログラマ、ユーザから成る草の根的な組織である。X Window System や compress プログラムをコンピュータ・システムに使わせようとしたら、特許権の侵害について訴えられて傷ついたり、スプレッドシートの作成時にたいていの人が知っているようなコマンドのサポートが許されなかった時に、不平ばかり言っていてはいけない。それについて何か行動すべきである ! この連盟に参加することで新種の独占主義を廃止させる一助となる。

 プログラミング自由連盟は、記事の執筆や公務員との話し合い、言語道断な犯罪者の排斥、将来もしかしたら訴訟事件でインタビューを受ける、などで新種の独占主義の廃止運動をしている。1985 年 5 月 24 日に、連盟は Lotus 社の裁判日に掛けて、その本社前に集合してデモを行なった。そして、1990 年 8 月 2 日に再度集合した。このような行進によって本件は広範囲にわたって報道機関を刺激した。

 議会を説得するのは大きな仕事である。公務員に好印象を与えるためにも、活動的な会員あるいは会費だけを支払う会員のいずれにおいても、連盟には大勢の会員が必要である。さらに、法人会員も必要である。会費は、専門家は 42 ドル、その他は 21 ドル、学生は 10.50 ドルである。入会方法は、小切手と氏名・住所を記したものを次の住所へ郵送する。

League for Programming Freedom
1 Kendall Square #143
P.O.Box 9171
Cambridge,MA 02139,U.S.A

 また、電話番号や電子メール・アドレスと、特にビジネスやソフトウェアに関して何に注意すべきかを教えてほしい。

 詳細は連盟まで電話 ((617)243-4091) をするか、league@prep.ai.mit.edu 宛に Internet 経由の電子メールを発信するか、あるいは上記の住所へ手紙を出すこと。

 注意 プログラミング自由連盟は、フリー・ソフトウェアのための組織ではないので GNU プロジェクトや Free Software Foundation という言葉を扱っていない。大方の連盟会員は独占的なソフトウェアを作成しており、そのような作業をするために、基金の寄付で設立されているような企業もある。

 しかし、FSF は連盟を強く支持している。おそらく、命がけという表現の方がふさわしいかもしれない。特許権は、フリー・ソフトウェアに対してはとりわけ致命的である。特許権所有者は、我々のソース・コードを読んで、どのような技術を使っているかを理解することができるので、我々には特許権取得のための資金の工面などできないと思っている。

 2〜3 年のうちに、米国で完全にフリーなオペレーティング・システムを合法的に配布することが不可能になるだろう。というのは、それは重要かつ特許権を侵害する部分が多過ぎて、そのままでは使えないだろうから。

 この記事を読めば、GNU プロジェクトに感謝する良い機会であることがわかるだろう。そして、より多くのフリーなソフトウェアを作成したくなるだろう。何か 1 つ GNU プロジェクトを支援したいのならば、連盟に参加することである。これならば誰にでも簡単に実行することができ、しかも最も重要な行動でもある。

□AT&T は X Window のユーザに脅威を与えている□

---AT&T Threates Users of X Windows---
Richard Stallman

「GNU ダイジェスト」#12/ '92 年 1 月号

 去年 *1 の春に AT&T は、MIT を含む X コンソシアムのメンバーに手紙を出して脅威を与えた。それによると、「X Window System の使用料を支払う必要がある」と。マルチウィンドウ・システムの「バッキング・ストア」が AT&T の特許 (米国特許番号 4,555,775) になったためである。X コンソシアムでは一連の展開を「大学の研究への脅威」と称している。MIT は、必要に応じて裁判所で争う方法を検討しているが、これが成功するかどうかは我々にはわからない。

 一方、Cadtrak 社は、画面上で描く際に X Window System で排他的理論和を使っているユーザに使用料を支払うよう、引続き要求している。これは、米国特許番号 4,197,590 である。X Window System を採用することができれば、GNU システムは非常に有益なものになるだろう。危険で基本的なシステムの機能はこれに限ったことではない。IBM 社のテキスト・エディタ中の「カット & ペースト」に関する特許 (米国特許番号 4,674,040) は Emacs に脅威を与えている。Emacs の拡張部分の一部も、「同一画面上でテキスト処理と数値処理を行なう」特許 (米国特許番号 4,458,311) で脅かされている。米国特許番号 4,398,249 の「自然な順番での再計算」は、汎用のスプレッドシートの技術を網羅しているので GNU ソフトウェアでの採用が危ぶまれる。

 (1991 年)9 月に FSF は、去年の春に Ross Williams が開発したアルゴリズムを使ったデータ圧縮プログラムをリリースする予定であったが、認められた新しい特許の中には彼のアルゴリズムが包括されていた。結局、我々はそのプログラムを放棄しなければならなかった。代わりに何を使うかはまだわからない。

 これらの脅威に対して FSF でできることはほとんどない。たった 1 つの特許でさえも、裁判で争えば全ての基金を使い果たしてしまうだろう。そこで、バージョン 2 の GPL(GNU 一般公有使用許諾書) では条項を 1 つ追加した。我々のプログラムのうちの 1 つが特許の範疇に入る場合は、その国での配布を禁止することができる。おそらく対象となる国として米国が入るだろう。

 広く使われるためのソフトウェアを開発する場合、そしてたぶん読者にも心当たりがあるだろうが、ソフトウェアに適用される数千という多くの特許を侵害しないで作業することは不可能だということに気付くだろう。この小冊子の読者がプログラミング自由連盟 (LPF、League for Programming Freedom) に加入することこそ道理ではなかろうか ?

□著作権で保護されたプログラミング言語□

---Copyrighted Programming Languages---
Richard Stallma

「GNU ダイジェスト」#12/ '92 年 1 月号

 GNU プロジェクトでは、既存のシステムの中で最良のコンパイラの 1 つを作成した。完全で新しい言語の設計に優先して C コンパイラを作成することにした。ユーザのプログラミング言語として使われるのは C 言語だからである。Unix に似たシステムでは、C コンパイラが本当に重要である。

 使いやすいコンピュータ上で新しい言語が同様に重要になれば、それ用のコンパイラを作成することは許されるだろうか ? ヨーロッパにおいてそのようなコンパイラを使おうとすると、答えは「ノー」である。5 月 15 日にヨーロッパ共同体はソフトウェアの著作権について新しい通達を出した。ユーザ・インタフェースを著作権で保護するだけではなく、プロトコル、データのフォーマット、プログラミング言語も著作権の対象にしようというものである。

 ヨーロッパ共同体の法律がインタフェースについてどのように述べられているかを次に示す。

 「明確にするために次の点を述べる必要がある。コンピュータ・プログラムの表現のみを保護し、(インタフェースの根底をなすものを含めて、プログラムのどのような要素をもその基礎を成す) アイデアや原理は、通達によれば著作権で保護されない」

 つまり、根底にあるアイデアは著作権で保護することはできないが、インタフェースの詳細は著作権で保護してもかまわない。

 Legal Affairs Committee of the European Parliament は、ここで言うところのインタフェースの問題をはっきりさせるために、次の言葉を追加するように勧告した。

 「次のようなものは著作権で保護することはできない。例えば、通信プロトコル、やりとりした情報の相互使用のための規則、データのフォーマット、プログラミング言語の構文とその意味、である」

 保守党のグループが徹底して反対し、激しい議論の末、この追加文は否決された。提起された問題の要は、それが本質的な変更とみなされていることを示している。つまり、議会はこの法律がプロトコル、フォーマット、言語を著作権で保護することができるとみなし、示唆している点である。

 広範囲に及ぶ危険で独占的な支持者の中核は 2〜3 の大手コンピュータ会社である。IBM 社や DEC 社、Apple 社、Siemens 社 (この中の 1 つはヨーロッパの会社) である。多くの小さな会社がこのインタフェースの独占への反対運動をするために、European Committee for Interoperable Systems を組織した。しかし、ほとんど成功していない。

■ 米国ではどうか ?

 最新バージョンの System V のインタフェース定義書では、インタフェースが著作権で保護されている、と主張している。Adobe 社は、「PostScript は著作権で保護されている」と言っている。IBM 社や DEC 社、Apple 社は議会に対して大きな声ではっきりと「プログラミング言語は著作権で保護されるべきである」と実際に言っている。そして、彼らはそのことが有効な政策である根拠として、ヨーロッパの法律を引き合いに出すであろう。

 そこで、新しい言語を採用する場合、GNU コンパイラの 1 つとして追加することができるだろうか ? ヨーロッパでは「ノー」である。おそらく米国でも「ノー」である。そして、プログラムを作成する時に、既存のいずれとも互換性のないものを作るように強制されたいあるいはしたいのか ? そうすれば告訴されなくて済むからなのか ?

 ほとんどのプログラマがこの制限に不満を示しているので、大方の読者も同様であろう。問題は、この件に関して何をしたいかである。遠慮なく話せば決定に影響を与えることもできるし、あるいは何もしないで IBM 社や DEC 社、Apple 社の言うがままに行なわせることも可能である。

 何か行動を起こしたいのならば、プログラミング自由連盟 (League for Programming Freedom) に参加するのが最も簡単な方法である。これは草の根的な組織で、プログラムを作成する自由を掲げて政治的に活動している。

 連盟への申込用紙からの抜粋を次に示す。*2

 プログラミング自由連盟は、プログラムを書く自由を取り戻すことに時間を割こうとする教授や学生、社会人、プログラマ、ユーザによる草の根的な組織である。この連盟は、個々のプログラムを著作権で保護する連邦議会のような合法的な組織に反対しているわけではない。我々の目的は、特に関心のあるものに対して判決が下された最近の変遷に反対することが狙いである。

 年会費は、プログラマや管理職、教授は 42 ドル、学生は 10.50 ドル、その他は 21 ドルである。申込方法は、次の項目に答えた用紙と一緒に小切手を連盟へ送ってほしい。

 連盟の住所を次に示す。

League for Programming Freedom
1 Kendall Square #143
P.O.Box 9171
Cambridge,MA 02139 U.S.A
電話番号 (617)243-4091
電子メール league@prep.ai.mit.edu

 まだ決意しかねる方は、詳細な情報を LPF へ請求する手紙を書くか、あるいは Internet 経由の電子メールにて league@prep.ai.mit.edu へ問い合わせていただきたい。

◆* 印以降の当時の記述内容は現在と異なるため、最新版 (「GNU ダイジェスト」#13/1992 年 6 月号) に置き換えたものである。

□ジョン・フォン・ノイマンが特許に反対していた□

---John von Neumann Opposed Patents---

プログラミング自由連盟 (LPF) のために載せている

「GNU ダイジェスト」#12/ '92 年 1 月

 "John von Neumann and the Origins of Modern Computing"(William Asprey, MIT Press, 1990, pp. 41〜45) という文献に、1946 年から 1947 年にかけての特許論争の記述が載っている。フォン・ノイマンは EDVAC について Eckert と Mauchly との間で争われた。フォン・ノイマンは EDVAC プロジェクトのコンサルタントであった。そこで多くの基本的な発明を行ない、貢献した。1946 年に Eckert と Mauchly は EDVAC の多くの技術を特許申請した。その中にはフォン・ノイマンが自分で発明したものだと、クレームをつけたものも含まれている。

 フォン・ノイマンが 1945 年に書いた EDVAC の報告書の原稿を、(特許として発案したことにしないで) 以前に出版したときの状態にしておいたことでこの論争は終わった。従って、問題となっていた全ての発明は、周知の事実 (パブリック・ドメイン) の一部になった。

 この論争から得られた 1 つの結論は、Institute for Advanced Studies での自分のコンピュータ・プロジェクトのためにフォン・ノイマンが特許の考え方を変えた、という点である。当初は、発明は個々の技術者に割り当てられた特許である、という考えであった。しかし、そうしないで、全てのアイデアをパブリック・ドメインにしたのである。

 フォン・ノイマンは次のように語った。「もちろん、これは立場が変わったことを意味するが、排他的な特許にはほとんど関心がないので、この変更は自分達には非常に都合の良いものになった。しかし、それ以上に、あるテーマへの貢献の全てをできるだけ一般的で公共的なものにして、アクセスできるようにしておきたかったのである」。